彼にも運にも愛される
星読みプロデューサー
濱田奈美 挨拶

(株)Raywave取締役

店舗Belle Lineを運営しています。

 

 

 

 

弊社は3つの輝きを大切にしています。

 

  • 自分を知り、ありのままの自分を受け入れる、内面美。
  • 自分の似合うを知り、印象を磨き、自信をつける、外見美。
  • パートナーから愛され、心の底から満たされる、心の豊かさ。

 

 

 

皆様、初めまして。

 

私は、『彼にも運にも愛される星読みプロデューサー』として

広島で店舗Belle Line内で

占い・美容サロン・結婚相談所を運営しております。

 

 

私の考える『彼にも運にも愛される』とは?

 

自分をまず大切に、そして愛され、美しく豊かに生きる人生です。

 

 

 

 

【今に至るまで】

私は幼少時代、両親が共働きのため、おおらかで優しいひいおばあちゃんに育てられました。

大自然の中で過ごし、1時間かけて山を一つ越えて、小学校に歩いていく毎日でした(笑)

両親は公務員で夜も遅く、ひいおばあちゃんと寝起きをしていました。

六歳のときに弟も生まれ、姉として、「いい子でいなきゃいけない・両親に甘えてはいけない」とずっとどこかでそう感じて過ごしました。

ただ、両親からの愛情もたくさん受けていたと思います。

仕事を頑張っている両親は尊敬していましたし、旅行も行くような家族でした。

私が『仕事でキャリアを積みたい!』と昔から思っていた夢は、母の影響が強いと思います。

ひいおばあちゃんは、洗濯・掃除・私のお昼ご飯…と、なんでもやってしまう働き者!

となりのトトロに出てくる、おばあちゃんにそっくり!笑

 

 

 

田舎のおばあちゃんは忙しいので、

ひいおばあちゃんが家事をしているときは、

一人で遊ぶことも多く、

夢や妄想を膨らましているような子でした。

また今思えば、第六感にも優れており、

人の気持ちを読み取ってしんどくなったり、

思ったことが現実になる体験も多々していました。

『ハイヒールをはいたキャリアウーマンとお嫁さん。』

これが私の将来の夢でした。

 

よく母のハイヒールを履いて、鏡を見て、大人になったときを想像していました。

そして、母のように人の役に立つ仕事をしたいとも思っていました。

 

 

 

そんな煌びやかな世界に憧れていながら

現実の私はというと…。

「おとなしい」「一人で遊んでばかり」。

昔の私は、人見知りで、笑うのが下手。

自分を出せないような暗い子で、自分を変えたい、変わりたいとよく思っていました。

キャリアウーマン思考でしたが、私の高校生の時代は、『就職難』と言われた時代でした。

先ほど書きましたが、昔からの夢は

具体的な職業ではなく

『ハイヒールを履いたキャリアウーマンとお嫁さん』

そんなイメージしかなく、自信もなかったので

「人の役に立ちたい」思いと将来の安定のため、

「作業療法士養成校」に入学し、

精神科分野に力を入れます。

しかし学べば学ぶ程、実習に行っても…

何かやりたいことと違う…向いていないのではないか…と感じました。

専門学生生活は楽しいといえないものでした。

 

 

そんな中、プライベートで『私の根本を揺るがす事件』が起こりました。

それをキッカケに、私は感情をなくそうと思いました。

夜になるとフラッシュバックと不安が襲うので、

夜働き、

昼は自分を隠し、

真面目に学校に行く生活を送りました。

学校に行くのは自分のためではなく、

親が辞めたら悲しむからという理由だけだったと思います。

誰かに頼ることも辛いと言うことも出来ずに、

私はどんどんどん底に落ちていくような感覚でした…。

*なんで私はこんなんなんだろう。
*生きてる意味なんてない。
*感情をなくしたい。
*死にたい。

 

とこの頃思いました。

でも、そんな簡単に死ぬことはできません。

死にたいのではきっとなくて…

誰かに助けを求めたいのに、

「助けて」の声が言えなくて苦しかった。

朝が来るのが、この頃嫌で仕方なかった。

明日なんてこなけりゃいいのに…と思っていました。

 

 

 

 

学校は休みがちでしたが、進級はなんとかしていきました。

その頃、自分が何なのか分からなかったので、

自分自身が占いを受け、

ユタの占い師(第一の師)との出会いから、

持って産まれている能力を認められ、

『占い師になればいいんじゃない?』

と助言を受け、

気のコントロールなどを学びます。

この先生のお言葉は、それからずっと心に留めている言葉です。

ギリギリの状態で頑張り続けていましたが、

ついに専門学校3年生の精神科の実習地でついに倒れ、

実習地(精神科)に入院し、

薬漬けとなり、

実習は強制終了、

そして実家に帰りました。

母に甘えることが出来ない私は、

実家にいるより、

すぐに当時付き合っていた、

今の主人のアパートに転がり込みました。

そこからの私は、

強い薬を飲んで帰ってきていたため、

ほとんど記憶がありません。

実習を頑張れなかった自分を責め、

奇行を繰り返してしまいます…。

朝目が覚めたら不安が遅い、

泣き崩れることが度々で(この頃の記憶はない)

当時付き合っていた主人からも別れを告げられました。

別れは、当たり前の状態でした。

そして、ついに実家に帰り、

強い睡眠薬を飲んで、

1日中無理やり寝るという、

寝たきりの状態が続きました。

生きているのに死んでいるような生活。

起きたら不安が襲うので、

起きているのはご飯のときだけ。

それ以外は、薬で強制的に寝るのです。

もう入院寸前のボロボロでした。

 

 

 

生きる意味を見失い、

現実を直視することが出来ず、

立ち上がる気力さえもない。

この頃が1番人生でしんどい時期でした。

母はこんな娘を見て、どう思っていたのでしょう。

仕事人間だった母は、この頃、

仕事を早く切り上げて帰ってきてくれたり、

休みを取ってくれたり、

私にとても寄り添ってくれました。

 

病気のお陰で母に遠慮せず、

甘えることが出来たのもあるのでしょうか?

三ヵ月ぐらい経ったあたりから、

自然と動こうという気持ちになりました。

『人間ってこれだけどん底に落ちても、自分で這い上がることができるんだ。』

と思いました。

安定剤なども飲みながらでしたが、

心も安定していきました。

市内の精神科に通い、

帰りは母とランチをして帰ることが、

その頃楽しみになりました。

友達とも遊べるようになりました。

 

 

 

主人(当時は彼氏)とも自然と会うようになり、1年かけて復縁。

主人(当時は彼氏)と一緒に卒業するということを目標に、復学も決意します。

(つまり一年遅く卒業しました)

そして。

卒業、国家資格合格。

 

 

 

 

主人と婚約と同時に、

精神科の薬も自力で絶ちました。

国家資格も取りましたので、

卒業後少しの間、

病院で作業療法士として勤めましたが、

やっぱり病院勤務は、

数日で体調を崩してしまいます(苦笑)

そして妊娠をし、

『家で出来る仕事』をしようと思い、

ユタの先生の言葉をふと思い出し、

『電話占い』なら私でも出来るかも!と思い、

タロットを独学で勉強。

霊感・タロット占い師として、大手電話占い会社へ応募、合格。

この頃月に約100人鑑定し、ベスト3に入ります。

 

 

しかし、家で出来る仕事ということは、
毎日スッピン…、

家に引きこもりの日々…。

日中会話するのは、

スーパーの店員との

「ありがとうございました」の会話だけ…。

主人の里に嫁ぎ、

初めての妊娠・話相手もおらず、

電話鑑定では、

毎日同じような悩みの連鎖に、

だんだん気分も滅入っていきました…。

また、

幼い頃から夢見ていた

『ハイヒールをはいたキャリアウーマン』の私の姿はなく、

『占い師』としてのやりがいを感じながら、

『電話占い』というスタイルに疑問も感じていきました。

そして何より、痛感したことがありました。

昨日電話鑑定した方が、また今日も電話をしてくる。

数日前に電話鑑定した方が、また今日も電話をしてくる。

色んな先生に鑑定してもらっても満足できない、

俗にいう『占いジプシー』の方が多い!

不安でたまらないお客様達は、

まるで以前の『起きたら不安が襲う私の姿』のようで、

いくら私が安心できる言葉をかけても力を費やしても、

お客様の根本的な不安感を

拭い去ることはできないんじゃないかと、

私の無力さ…、

そして電話鑑定の

『不安の無限ループ』のようなものを感じていました。

 

 

 

 

そんな中、出産・育児、

『電話占い』を副業でしながら、

美容の仕事を100万円かけて開業するのです。

中四国三位にもなり表彰され、

人をきれいにすることはとても楽しかったのですが、

『売る』ことがプレッシャーになり始めました。

「女性が輝くことに携わりたい」という思いは、

『外からの美の部分ではなく、内からの美なのではないか』と感じます。

それでも「三年は続けよう!」と決めていたので、美容の仕事は三年続けました。

 

 

 

結局…

私は専門学校に行かせてもらったのに、

医療に勤めれない親不孝の娘で。

主人にも迷惑をかけてしまっている、

ダメな嫁と自分を責め、

なかなか辞める決断を出来ずにいました。

でも、グダグダ言っておれない!
なんとかしなくちゃ!

そう思った私は、

占い師としての道を、

「もっと違う方向で、もっと根本的な解決が出来ないか?」

「自尊心や自己肯定感を高め、自分で自分を幸せに出来る力を持てないのだろうか?」

と、思い始めました。

そして、

マヤ暦と西洋占星術という統計学を学び

自分を受け入れることを学びました。

 

 

『自分を知ること』は、自分らしく生きていいんだと、自分を信じることに繋がりました。

私の歩んできた道は、今に至るための道だと思えました。

悩みを抱え込まなくなり、自分を信じ進むことができるようになりました。

自分を知り、自分と向き合い、自分を受け入れると、私の人生は180度変わりました。

苦しかった理由が、ピースのように当てはまるようでした。

 

 

マヤ暦で「手放すという意味を持つ白の時代」に

美容のお仕事を辞める決意をし、

自分で運を掴む人を増やしたいと感じ

鑑定だけでなく講師業も始めました。

 

 

 

 

Belle Lineに込めた意味は…

*Belleは美しい人。
*Lineは繋がり。

 

『孤独な人が多いから、私が誰かのsosを繋げるLINEになりたい。』

『孤独な社会ではなく、個立な社会を目指したい。』

『自分で自分を幸せに出来る人を作りたい』

そう願いを込めました。

 

 

2014年

埼玉のペガサスジャーニーhiromi先生から、マヤ暦を学ぶ。

2015年11月。

パワーストーンナビゲーター、デザイナー、2級・1級カウンセラー取得。

2015年12月。

西洋占星術を学ぶため、cleyera 橘寧乃先生のところに通う。

2017年2月3日。

結婚相談所開設。

2018年10月。

インナーチャイルドカード取得。

そして…

令和元年6月17日

(株)Raywaveを設立。

令和元年8月6日

並木店舗プレオープン。

令和元年8月9日

並木店舗グランドオープン。

 

併設の美容サロンは、美容鍼とボディメイクが可能です。

 

 

弊社の結婚相談所ご入会のかたや

プレミアム美女力・美男力UPコースのかたは

こちらの美容サービスを受けることが可能です!

 

 

Raywaveの意味は、

  • Ray:光線
  • wave:波

 

そして、奈美の「波」と

令和の「Raywa」をかけ

株式会社を設立いたしました。

 

 

 

このお店にきた方が、自信を持ち輝きを増してほしい。

 

全ての人が輝けるがコンセプト!

 

 

 

 

占い鑑定の方はオンラインでできることもあり

ありがたいことに全国から

お客様が鑑定を受けてくださっています。

 

恋愛・婚活・夫婦問題カウンセラーとして、

タレント活動もさせていただく機会も増えました。

 

 

公式ライン占いアプリと、

ameba公式占いSATORIにて、

アプリをリリースすることもできました。

 

 

 

 

 

ここに足を運んでくださった貴方は、心に迷いを抱えていますか?

複雑な事情や、言葉に出来ない感情を背負っておられますか?

 

私はこうやって私を見つけてくださり、

ご縁いただいていることを感謝しております。

 

悩みを抱えていたり、

行き場のない思いの中を彷徨っていると、

人は自分の本当の価値を忘れてしまうのです。

 

 

誰もが貴方だけにしかない特別な『個性』を持って産まれています。

 

ありのままの貴方を知ることは、貴方らしく輝けるようになること。

貴方だけの『夢』は、貴方だけ叶えていくことが出来るのですから。

 

 

自分を知り、認め、受け入れる
自尊心と自己肯定感を高めることが
幸せを掴む大前提!

 

 

 

自分で自分を幸せに出来る力を身に着けながら

たくさんの愛を受け取れるあなたになってください。

あなたの未来を叶える、Line(繋がり)になります。

 

 

 

 

 

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名称 Belle Line
運営者 濱田奈美
会社概要 〒730-0029
広島市中区三川町6-13Mビル5F
(株)Raywave
連絡先 お問い合わせよりご連絡ください。
その他 特定商取引法に基づく表記